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長崎家庭裁判所 平成2年(少)375号 決定 1990年4月24日

少年 M・K(昭51.10.29生)

主文

この事件を長崎県中央児童相談所長に送致する。

少年に対し、平成2年4月24日から向こう2年間に、通算180日を限度として、強制的措置をとることができる。

理由

(申請の要旨)

少年は、昭和63年4月1日から教護院長崎県立開成学園に在園中の者であるが、同学園措置児童のA及びBが共謀の上、平成2年3月22日午前5時ころ同学園○○寮職員玄関横の車庫に保管中の同学園専門官C所有の自動二輪車に放火し、全焼させた事件の謀議に主導的に加わっていたにもかかわらず、無関係を装うなど反省の態度が窺われず、逃走、再犯に及ぶおそれもあるため、今後開放施設である同学園での指導は困難であり、強制的措置の可能な国立教護院への入所が相当と思われる。

(当裁判所の判断)

一  少年は、当審判廷において、申請の要旨記載の放火事件について、謀議に主導的に関与したことを否定し、○○寮のC専門官所有の自動二輪車に放火する話を右Aとしたことはあるが、平成2年3月18日ころには冗談である旨右A及び右Bに伝えたし、また、犯行当日は放火現場に自動二輪車が燃えているのを見に行っただけである旨供述するが、本件事件記録及び当審判廷における少年、証人A及び同Bの各供述を総合すると、少年は従来からC専門官の指導に反発して不満を募らせており、右A及び右Bに対して積極的に右C所有の自動二輪車に放火しようと持ち掛けていること、本件犯行当日もその日に実行する旨右両名に伝え、右Aに深夜に起こすよう頼んでいること、右両名とともに放火現場に行った際には燃えている自動二輪車の上にビニール製のシートを乗せて燃え上がらせたこと、本件犯行後右Aに対し、点火するのに使用したノートの残りをトイレに流すよう指示したことなどの事実が認められ、これらの事実を総合すれば、本件放火事件は少年の主導によるものであることが推認できる。他方、これらの各事実を否定する少年の弁解は、たとえばビニールシートは燃えないように倉庫の隅に片づけた旨述べながら、それが不合理であることを指摘されるやよく覚えていない旨述べるなど一貫性がなく、到底信用できない。したがって、少年が本件放火事件に謀議の段階から積極的、主導的に関与していたことが優に認められ、申請の要旨のとおりの事実(但し少年が同学園に措置されたのは昭和63年9月2日である。)を認めることができる。

二  また、本件記録及び審判の結果を総合すれば、次の各事実を認めることができる。

1  少年は、昭和54年12月24日から養護施設聖母の騎士園に措置されていたが、昭和63年4月ころから、無断外出、指導員に対する監禁、暴行事件への加担、同施設入所中の年少児童に対する暴行等の不良行為を繰り返したことから、昭和63年9月2日に教護院長崎県立開成学園に措置変更された。

同学園入所後は、同年9月14日には同学園内で食堂荒らしをし、一時帰宅中の同年12月30日には自宅近くのアパートで窃盗を行い、平成元年3月29日には同学園に措置されている兄とともに万引し、同年11月18日には無断外出した上同学園措置児童2名と共謀して中学生を恐喝したり、タクシーを乗り逃げするなどし、同月30日には再度無断外出するなどのほか、同学園内において喫煙するなどの不良行為を重ねていた。さらに、このような状況のなかで、次第に自己の所属する○○寮のC専門官の指導に対して反発し、不満を募らせるようになり、平成2年1月ころからは、同寮の児童たちと同人をバットで殴ろうとか同人所有の自動二輪車に放火しようなどと話すようになり、本件犯行に至ったものであって、本件犯行自体深夜に寮に隣接する車庫に置かれた自動二輪車に放火するという極めて危険なものである上、同学園における教育、指導に対する反発が表面化したものであり、しかも、謀議においては主導的役割を果たしながら、実行行為は右A及び右Bに行わせ、さらに、犯行後には証拠湮滅を指示し、右A及び右Bに少年自身の関与について口止めして無関係を装い、当審判廷においても不合理な弁解を重ねるなど反省の情に乏しい。

以上の諸事情に、同学園の寮においてボス化していること、将来はやくざになりたい旨述べていることなどを併せ考えると、少年の非行性はかなり進み、悪質化している。

2  少年の資質

少年は、IQ78と中の下である上、小学1年生からほとんど授業を聴いていないため基礎的な学力もない状態である。また、抑制力に欠け、感情統制も悪いため衝動的で攻撃的であり、両親の養育能力の欠如により、生後まもなくより乳児院及び養護施設で養育されたことから、通常家庭の親子関係を通じて獲得する基本的な信頼感等が根づいておらず、他者に対する認知の仕方が相当に歪み、被害感情や疎外感を強く持ち、暴力肯定的な考え方を持つようになっており、しかも、不遇な成育過程において形成されてきたものであるだけに根深いものがあり、養護施設や教護院における指導を被害的に受け止めてきており、前記開成学園の専門官に対しても不平、不満を募らせており憎悪の念を抱くに至っており、同学園における適応状態も悪くなっている。

3  少年の家庭環境

少年の父親は、結核により肺のかなりの部分を切除しているため稼働できず、また、母親は軽度の単純精薄で、中学卒業後不純異性交遊等のために精薄施設みのり園に在園したことがあり、少年及び双子の兄の出産後も家事ができない状態であったため、養育能力がないと判断され、少年らは乳児院や養護施設で養育されることになり、現在に至っている。両親は現在も生活保護を受給しており、母親は引き続き少年の施設収容を望んでいる。父親には少年を引き取りたいという意向はあるものの、現在も呼吸機能不全等の障害を抱えている上、少年は正月等に帰省した際も父親の指導を無視し、好きなように遊び回っている状態であり、両親の監護能力は著しく低いというべきである。

三  以上の事実から、少年は成育過程において家庭環境に恵まれなかったこともあって、非行に対する抵抗力の乏しい人格が形成され、長ずるに従い、非行が悪質化し、前記のように放火を容易に企図するなど社会的危険性が認められるに至っており、しかも、根深い情緒面の発達障害に起因していることから、少年には、敵対・不信という人間関係の捉え方を解きほぐす指導が必要不可欠であると認められる。他方、少年が前記開成学園の指導に対しては反発している上、同学園の寮においてボス化しており、本件が同学園内における収容児童を共犯とする悪質事犯であって、同学園での指導は困難と思われ、また、保護者の監護能力も期待できない。

したがって、このような少年の資質、環境、これまでの同学園での状況、非行の程度・内容等一切の事情を考慮すると、少年の健全な育成のためには、現状のまま開放施設で処遇することは困難と認められ、強制的措置をとることのできる施設において指導することが必要である。

そこで強制的措置をとりうる期間について検討するに、少年が現在中学2年生であることや前記認定の少年の資質等からみて、強制的措置をとりうる期間として本決定から2年間を限り、180日を限度とすることが相当である。

よって、少年法第23条1項、18条2項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 森純子)

〔参考1〕強制的措置許可申請書

二中児 第273号

平成2年3月31日

長崎中央児童相談所長

家庭裁判所 殿

送致書

左記児童の事件を児童福祉法第27条の2により送致いたします。

<省略>

別紙1

強制的措置を必要とする理由

児童M・Kは、昭和63年9月1日から長崎県立教護院開成学園に在園中の者であるが、A及びBの2名が共謀のうえ、平成2年3月22日午前5時頃、長崎県立教護院開成学園○○寮職員玄関横の車庫に保管中の二輪車に放火、全焼させ、続けざまに同人たちが職員居室横に停車中の軽トラックに放火を企て、末遂に終った2つの事件に関して、謀議に深く関与していたことが判明した。

この一連の事件の実行者はA及びBの2名であるが、事件の謀議には、当初より、M・Kが主導的に加わっていた。

また、事件を引き起こした児童はどちらかと云えば、追従的な児童であり、3人の中では、むしろM・Kが他2名に影響力を行使する主導的な児童であると長崎県立教護院開成学園では判断している。

この事件の端緒は、平成2年3月18日夕、D(同年3月20日退園)より、M・Kらが「○○寮を燃やせ。見つからんけん心配するな。どうせなら先生を殺してもよか。俺がいなくなってからやれ。見つかったら逃げてこい、かくまってやる。」と放火の教唆を受けたことに始まり、M・Kらはその後も謀議を重ね、A及びBの2名が実行に移している。

以上のとおり、職員を殺しても構わない、と考えての犯行であり、放火という重大事件に深く関与したにもかかわらず、その後何ら反省もみられず、逃走、再犯に及ぶ虞れもある。

よって、今後、開放施設である長崎県立教護院関成学園での指導は困難であり、強制的措置の可能な国立教護院への入所が相当と思われる。

あわせて、強制的措置の期間として、国立教護院入所から、向こう2年間に、通算180日を限度とすることが相当と思われる。

なお、児童M・Kは当初、今回の事件に関しては、無関係を装っていたが、Aらの供述により、平成2年3月23日夜、前述のとおり、M・Kが事件に深くかかわっていたことが判明したものである。

その後、翌24日○○警察署の任意の取り調べを受け、帰園後から直ちに事件を起こした他の2名と共に長崎県立教護院開成学園職員により、四六時中、付き添われているが、同園職員の精神的、肉体的疲労はその極に達している。

以上のとおり、逃走、再犯に及ぶ虞れが強いので、緊急に観護措置をお願いしたい。

別紙2

不良行為歴

昭和63年4月28日 養護施設聖母の騎士園を無断外出。同日保護、復帰。

昭和63年5月11日 同施設内で起きた暴動騒ぎ(バリケードを構築し、指導員1名に対し、監禁の上、暴行を加えた事件)に加担。

昭和63年7月~8月 同施設内の年少児等、弱い児童に対する暴力、いじめが頻発。

(上記不良行為により、昭和63年9月1日付で長崎県立教護院開成学園へ措置変更)

昭和63年9月14日 長崎県立教護院開成学園内において、食堂荒らし。

昭和63年12月30日 金銭窃取(一時帰省中、近所のアパートの郵便受けの上の空き缶にいれてあった現金6、000円を単独で窃取)

平成元年4月21日 万引。(単独 2店 合計3、180円相当)

平成元年5月12日 長崎県立教護院開成学園内において、喫煙発覚。(単独)

平成元年11月18日 長崎県立教護院開成学園無断外出。11月22日保護復帰。

(無断外出中、たまたま通りかかった中学生を恐喝、人質としてら致し、○○町から長崎市○○付近まで連れまわす。そのまま大村市までタクシーで行き、乗り逃げ。他の児童2人と共謀しての犯行)

平成元年11月30日 長崎県立教護院開成学園無断外出。同日保護、復帰。

平成2年2月22日 長崎県立教護院開成学園内において、二輪車に放火、全焼させた事件、同じく、職員居室横に駐車中の軽トラック放火未遂事件の謀議に深くかかわっていたことが判明。

なお、この事件については、現在、○○警察署が任意取り調べ中である。

〔参考2〕児童通告書<省略>

別紙

児童M・Kは、犯罪少年A、Bと、長崎市○○×丁目××番×号長崎県立開成学園○○寮に入園中で、同寮の管理監督している教護Cから、タバコを吸っているだろう、寮の番長づらをしているなどと注意されたことに快く思っていなかったものであるが、同教護が使用している自動二輪車を焼燬して、そのうつ憤を晴らそうと、共謀し、平成2年3月22日午前5時頃、同寮東側バイク置場において、右Aが、同所に駐車中のC所有にかかる自動二輪車(時価4万円相当)の後部、左右に石油を散布し、同車のサドルシート付近に所携のライターでノートの紙切れに点火して、同車に放火し、よって、同車サドルシート及び機関部の一部などを炎上させて、これを焼燬し、そのまま放置すれば、○○寮とこれに近接する建物に延焼するおそれのある危険な状態を発生させ、もって、公共の危険を生ぜしめたものである。

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